この部屋にはたいへん美しいルネサンスの暖炉がある。マントルピースにはトマ・ボイエの辞が刻まれている。「S'il vient à point, me souviendra (城を建設すれば建てた人間は歴史に残る)」 - ドアの上の彼の紋章にも同じ言葉が刻まれている。
家具には、15世紀フランスの祭器棚が3つと、16世紀イタリアのキャビネットがある。キャビネットには螺鈿が施され、象牙彫刻の万年筆も美しいが、これはフランソワ2世とメアリー女王への結婚祝いであった。
壁にかかった肖像画は、狩人の扮装をしたディアーヌ・ド・ポワチエのもので、フォンテーヌブロー派の画家フランチェスコ・プリマティッチオによるものである。肖像画は1556年、シュノンソーで描かれた。その額には、エタンプ公爵夫人ディアーヌ・ド・ポワチエの紋章がつけられている。
両サイドには、ラヴェンシュタインのミラヴェルによる絵画と、ヴァン・ダイクの自画像がある。その隣には、狩をするディアナに扮したガブリエル・デストレの、アンボワーズ・デュボワによる大きな肖像画がある。
窓の周りにはフランシスコ・デ・スルバランによる「アルキメデス」、17世紀ドイツ派の「二人の僧」がある。暖炉の右手には、ネスレ出身の女性を描いたファン・ローの「三人の美神」がある。三姉妹は、ルイ14世の愛妾のシャトールー、ヴァンティミユ、マイユ(Châteauroux, Vintimille, Mailly)である。
ルイ14世の居室 [編集]
ルイ14世が1650年7月14日にシュノンソーを訪れたときの記録によれば、彼はずっと後になってから叔父のヴァンドーム公に、リガードによる肖像を贈ったという。そのすばらしい額はルポートル作製、木製で4つの大きな材を組み合わせたものである。肖像と同時に、オービュッソンのタペストリーで覆われた家具と、ブール風のコンソールも贈られたようである。
ルネサンスの暖炉にはサラマンダー(火とかげ)とストート(オコジョ)が刻まれ、フランソワ1世とクロード王妃を表している。天井と剥き出しの横梁を囲むコーニスには、ボイエ家のイニシャルT、B、Kの文字が刻まれている。コンソール上部には、ルーベンスの「幼子イエスとバプテスマのヨハネ」がある。この絵は、スペイン王にしてナポレオンの兄ジョゼフ・ボナパルトのコレクションから1889年に購入された。
居間には18世紀フランスの美しい絵画も飾られている:
ファン・ロー……「ルイ14世の肖像」
ナティエール……「ロアンの王子」
ネシェール……「ルイ14世大臣シャミラールの肖像」「ある男」
ラン……「スペイン王フェリペ5世の肖像」
また、ミニャールによるルイ14世の銀行家サミュエル・ベルナールの大きな肖像画もある。サミュエル・ベルナールはたいへん裕福で、その風雅さと知性をナッティエの肖像画でも賞賛されたデュパン夫人の父親でもある。デュパン夫人はジョルジュ・サンドの義祖母に当たり、18世紀のシュノンソー城主だった。
彼女は百科全書派の友人であり、ヴォルテール、ルソー、モンテスキュー、ディドロ、ダランベール、フォントネル、そしてジャック=アンリ・ベルナルダン・ド・サン=ピエールの世話役だった。彼女は親切で寛大な女性で、フランス革命期にもシュノンソー城を破壊から救った。
階段 [編集]
ホールから16世紀のオーク材のドアを抜けると、階段に至る。そこに刻まれた葉は古い法と新しい法を象徴する。古い法は目隠しをされた女性像と、足元の本と巡礼者の杖に、古い法は目隠しのない顔と、掌にヤシと聖杯に象徴されている。
階段から1階に進むと、最初の直線の手すりが印象的である。手すりの上の手すり、イタリア風手すりの上にフランス風手すりが作られたのである。天井には直角に交差したリブと高いヴォールトが見られる。接点はキーストーンで装飾され、格間は人物像や果物、花などで飾られている(革命期に若干の破壊を受けた)。
踊り場からは、シェール川が眺められる。
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非常に美しいメダイヨンが踊り場の壁を装飾している。メダイヨンのデザインは、髪が流れる女性の胸像である。