景勝と景虎の後継争いは死の直後から小規模ながら勃発し、早くも翌14日(20日)には景虎派と目されていた柿崎晴家が景勝方に暗殺されたと言われる。しかし晴家の死亡時期や死因には諸説あり、断定されているわけではない。また一級史料による正確な日付は不明であるが、景勝はその後いち早く春日山城の本丸に移ったものと考えられ、金蔵、兵器蔵を接収、24日(30日)付け書状において国内外へ向け後継者となったことを宣言し、三の丸に立て籠もった景虎に攻撃を開始する。3月中に戦闘が起こったかどうかはわからないが、この頃の景勝の書状に「鬱憤を晴らすための戦い」とあり、景勝の本丸入りも両派の城内戦の末であったと考えられる。
5月5日(6月10日)には大場(上越市)において景勝方と景虎方が衝突、春日山城でも景勝方の本丸から景虎方の三の丸に攻撃を始めた。同月半ばに景虎が退去するまで春日山城を舞台としての交戦状態が続き、その間を利用して景勝・景虎双方とも越後諸将に対する工作を展開していった。
美容 建売 リフォーム 成人病 育児 多汗症 教材 語学 アウトドア 生涯学習 遊園地 英会話 関東 バスト 不動産 養毛 投資 調査 リラク リラク 介護 癒し 音楽 電器製品 教材 交通 理容 中国四国 インプラント アルバイト 葬儀 クレジット 金融 結婚 リラク 仏具 介護 文房具 学校 セミナー セミナー 宿泊施設 若返り 経営 バスト 増客対策 結婚 介護 ペット 健康
直江信綱や斎藤朝信、河田長親といった謙信側近・旗本の過半数(特に大身の直江・山吉の参陣が大きい)が加担している点、及び新発田・色部・本庄といった下越地方の豪族である揚北衆(あがきたしゅう)の大身豪族が加担している点が特徴である。特に謙信側近中の重鎮や謙信旗本の多くが景勝に就いていることから、上杉家家中では景勝が後継者と見做されていたのではないかという意見もある。上杉一門の加担者では、謙信の4人の養子のうち当事者である景勝・景虎以外の、上条上杉氏を継いだ上条政繁や山浦上杉氏を継いだ山浦国清が味方している。